高橋名人が誕生秘話を語る 衰えぬ連射にファミコン世代が感涙 - 週刊アスキー Startup Japan Tour 2015 in Kyoto”が、2015年8月2日に京都リサーチパークで行なわれ、高橋名人こと高橋利幸氏がゲスト参加した。 (出典:週刊アスキー) |
高橋名人(たかはしめいじん、本名:高橋 利幸(たかはし としゆき)、1959年5月23日 - )は、日本のゲーム関係者、歌手。血液型はO型。ファミコン全盛期にハドソン所属の“ ファミコン名人 ”として一世を風靡した。 日本におけるプロゲーマーの先駆的存在であり、一般社団法人e-sports促進機構代表理事にも就任している。 69キロバイト (10,418 語) - 2019年7月3日 (水) 02:51 |
16連射。
当時のファミコン少年たちに絶大な人気をほこった、高橋名人こと高橋利幸氏は今、MAGES.に所属するかたわら、
ドキドキグルーヴワークスというゲーム関連会社を起業し、ベンチャーの代表取締役“名人”を務めている。
起業の理由は、右肩下がりになっているコンシューマーゲーム、お世話になったゲーム業界への恩返しと、若者のために仕事をつくることだと語る。
そんな高橋名人がゲストとして参加した、サムライインキュベートとさくらインターネットによるイベント“Startup Japan Tour 2015 in Kyoto”が、2015年8月2日に京都リサーチパークで行なわれた。
基調講演では、高橋名人が自身のエピソードをスタートアップへのメッセージとして送った。
・若いうちに失敗をしろ
「今の若者は失敗をしないことを前提に計画を立てる。若いうちは失敗しないとダメ、若いうちに失敗するから、失敗しない知恵がつく。小さな失敗はフォローしてくれる先輩がいる。
考えなしはダメだが、失敗はどんどんすればいい。そうしないと、いつかどこかで大きな失敗をする」と、
この日集まった若いスタートアップの経営者、また起業を目指している参加者たちに語った。高橋名人も多くの失敗した、いちばんの失敗は寝坊でイベントを欠席してしまったことだという。
名人誕生のエピソード
PC向けソフトウェアを開発していたハドソンが初のサードパーティーとしてファミコンに参入したのが84年のこと。
『ロードランナー』は130万本を超える大ヒットとなった。順調なスタートを切った。
しかし、社内が盛り上がれば盛り上がるほど失敗する可能性が高くなる。『バンゲリングベイ』は、社内的には非常に盛り上がったが失敗した。
それ以外にも、社内が盛り上がるゲームはあったが、出してみると失敗。「第3者的に冷静でみる人が必要」と名人は語る。
転機が訪れたのは『チャンピオンシップロードランナー』、小学生には難しいゲームだった。「子供がどういう顔をしているか見てみたい」と、コロコロコミックとともに、全国60ヵ所のファミコンキャラバンを立ち上げた。
ラジオ体操の先生みたいにデモンストレーターが必要だろうと、ハドソンのファミコン宣伝担当として、予算はまったくないなかで生まれたのが“高橋名人”だった。
「大成功して、社会的ブームは想定できなかった。イベントをやることしか考えていなかった」という。
全国60ヵ所、大勢の子供が参加する。怪我人が出たら中止なので、安全、確実にやるしかない。午前、午後の大会で500人、夏休みだけで3万人。大成功だった。
お母さんの前で生まれたゲームは1日1時間という標語
当時、各ゲームメーカーに名人がいた中、高橋名人がほかの名人と違った点は、まずゲームを子供の前で失敗したことがなかったということに加え、
「ゲームは1日1時間」という標語で、“お母さん”たちから受け入れられたのが大きかったという。
子供はゲームにはまるのは当然、あとはお母さんにファミコンを捨てられるか、投げられるか、ACアダプターを隠されるか。誰もが経験したことがあるだろう。
キャラバンでは子供の後ろにその母親たちが並んでいた。その中で、「ゲームは1日1時間と言ったら、お母さん方がうんうんとうなずいていた」。
しかし、ゲームメーカーとして、ゲームで遊ぶなというのはなんたることか。役員会で議題にあがったが、これはメーカーとして、子供たちへのメッセージとして言っていこうと、ハドソンが決めてくれた。
ゲームばかりではなく、外でも遊ぶ、勉強もすると高橋名人が言うと、お母さんを味方につけたことにより逆にゲームを買ってもらえるようになった。
「ゲームは一日一時間」
「外で遊ぼう元気良く」
「僕らの仕事はもちろん勉強」
「成績上がればゲームも楽しい」
「僕らは未来の社会人!」
ゲームの標語として、以上のメッセージを子供たちに発信していった。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1724555
>>1の続き
今だ衰えぬ連射の腕と、眼力がすごい
基調講演では、代名詞ともいえる“連射”のデモンストレーションが行なわれた。27歳の時にたてた10秒間174回の最高記録から、56歳になり、今は12連射ほどだという。
それでも高橋名人はすごい!という姿を来場者の前で披露。高橋名人への挑戦者として、2名が参加したのだが、連射をしている横で高橋名人が「80くらい」というと、
ぴったり80回、「100くらい」というと102回でぴったりと言い当てた。これには会場にどよめきが巻き起こった。
そして自身も124回で、1秒間に12連射と未だに衰えぬ腕と眼力を見せてくれた。今はふり幅が4ミリくらい空いているが、当時はふり幅が1ミリか2ミリで反発して当てていたという。
筆者も含めて、ファミコン世代には感涙ものの話とデモだったが、若いスタートアップ世代また起業者、これから起業を目指すこの日集まった方々でも、高橋名人の経験から得ることが多かったのではないだろうか。
ファミコンが生まれた任天堂の地・京都にて最高の基調講演だった。
スイカ割り名人
,;:⌒:;,
8(・ω・)8 ハドソンのゲームは音楽がまた良かったからな
PCエンジン側は、ゲームは1日2時間だったな
「ゲームは一時間以上やるな」
じゃなくて「一日一時間は練習しよう」が真相の人
ファミコン時代とかハドソンのゲームは面白いの多かったな
スターソルジャー、迷宮組曲とかよく遊んでた
全面ジムダです!
高橋名人は本名、これ豆な
毛利名人なんてのもいなかったっけ?
子供の頃に聞いた名人の講演で、「みなさん、ゲーム以外の事もたくさんしましょう。勉強も遊びも。
大人になった時、ゲームしか楽しいことを知らないような寂しい大人にならないでください」という、
この言葉だけよく覚えてる。
先生が言ってたけど連射でスイカ割ったってマジなん?
連射がすごいって、当時そんな連射必須のゲームってあったっけ
スターフォース
しかし秒間12連射だと俺でもできそうだな
>>17
出来るけど維持するのが大変
>>20
弾幕が特に無理
高橋名人のこと斉藤千和とかいうなよ
高橋名人の冒険島は素晴らしい
連射は速いけどシューティングは下手だと聞いた
>>20,27
CAVEのコラボ企画では2位とってたよ
途中までは1位だったが
どこかの編集部が本気だして抜かれた
バンゲリングベイはカートリッジの表裏に操作説明とゲームの目的を明記しておけば受かってた
みんな説明書をなくしてどうやって遊ぶのか意味不になってクソゲー扱いされてしまった
>>21
うちにあったが意味不明だった
バンゲリングベイは名作だと思うけどなー
対戦のマイク攻撃と二面の母艦建造スピードがバランス悪いだけで
>>22
ある程度の年齢行ってれば楽しさがわかるだろうけど
ちびっこには難し過ぎた
歌上手いよね
現在は夜の16連射
百田直樹の兄貴かww
毛根と*は衰えても連打だけはまだまだやるなww
ハドソンの広報だったんだから当然開発からパターンは仕込まれており、
5分間モードは開発の指示通りに練習してプレイしていただけに過ぎない。
だからキャラバンモード以外はそれほどゲームが上手いわけではない。
今の若い子には信じられないんだろうけど
高橋名人はアイドルより人気があったんだぜ
昔あったアムラーとかあの辺のカリスマ的存在に近い
逮捕説が10日後にはドイツやイギリスにまで飛んでいて、
デマの広がりを研究してる学者が素晴らしい研究対象だと絶賛して本格的に研究や分析をはじめた。
>>32
はっ?あっちでもデマ飛ぶ位有名人だったの?
>>36
ネットも無い時代だし、新聞雑誌にもまだ書かれてないのにロンドンでも話題になった。
どちらかというと日本ローカルな高橋名人がロンドンでも知られてるという事が驚かれた。
PCエンジンの頃にすっかり姿を見せなくなったが、ハドソンの上層部が「ファミコンの高橋名人」だから
PCエンジンと差別化をはかるため名人の露出を意図的に少なくした。
ファミコン時代の功績で高橋名人は昇進して管理職になり、
PCエンジン時代以降は広報の管理職としてハドソンを支えることになる。
FF8の召喚獣の応援での連打…
いつも目立たない奴が驚異的な連打でヒーローになってたよ
一方俺は連射機を使った
ジョイボールとはなんだったのか
他の名人達はどうしてるんだろう?
>高橋名人がほかの名人と違った点は、まずゲームを子供の前で失敗したことがなかった
高橋名人以外の名人はこんなんでよかったんだ
BTOOOMに出てたよね
スイカを指で割れる凄いヤツ
さいとうちわ
連射テクは前戯に役に立つって聞いた
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